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2009年12月21日 (月)

クリスマス礼拝

昨日はクリスマス礼拝。
午後はページェント(キリスト降誕劇)を日曜学校の子供たちでやった。
このページェントは毎年日曜学校の子供たちで行われる恒例の劇だ。
クリスマスを覚えてイエス様のお生まれになったことを感謝するために毎年同じ待降、降誕の感謝の賛美をするのと同じく、毎年ページェントを行う。
この三年こちらにお邪魔しているが、こちらの教会では台本も三年ほぼ一緒。
うちの長男、次男は一昨年と去年は羊の役だったが、今年は長男はせりふを頂いて羊飼い2をやった。せりふは
「神様の知らせてくださった素晴らしい出来事をみようじゃないか。」
当日もしっかり言えた。
次男は天使の役。しかし、せりふが言えないので立っているだけの天使。しかし、衣装を着ているだけでもかわいい・・・衣装が大きいので引きずりながら舞台に出て行った。
去年、長男が幼稚園に入園して、今年は長男が年中、次男が年少になった。
去年も今年も同じ幼稚園のお母さんたちがページェントを見に来てくれた。
バザーやクリスマス、延べにして数十人のお母さんやその子供たちが来ている。
その場限りのように見えるかもしれないが、引き続き来ているお母さんや子供たちがいる。ちなみに幼稚園に教会員がOB含めて4組いる。これも大きい。
うれしい限りだ。

特別なことをしたわけではなく、幼稚園のお母さんたちにちらしを渡しただけ。(これも私にとっては簡単なことではないけど)

それでも来てくれるのがうれしい。

あそこにいたときは、クリスマスはまさに「くるしみます」に近いものだった。
集会に手ぶら?状態で来ているととても片身の狭い思いがした。
盛大なクリスマスプログラムを披露することにも必死だった。
たくさんちらしを撒いてたくさん戸別訪問をした。
クリスマスの伝道集会にはディナーショーなるものをするので、チケットを何枚頼むか、というところでも微妙な空気があった。自分の分だけではばつが悪い、そんな感じはもちろんあった。
クリスマスに限らず、あの手この手でなんとか集会に人を連れてこようとする作戦があった。
グループでも誰々に声をかけましょう、と名前を書き出して祈ったりした。
毎週10名のバプテスマ、という目標があったので、毎週「バプテスマに狙う人」という紙面を必要事項を記入してグループごとに提出しなければならなかった。
時には廊下に「バプテスマに狙う人」という紙が張り出され、自分たちの友人や家族の名前を書き出し、教会に数回来た、あるいはイエス様を受け入れるお祈りをした、などでランク分けされていた。
その紙を私の友人がじっと見ていた時は非常に恥ずかしい思いがした。
他にもいろいろな方策がとられ、週報にグループ別に新来会者の数が羊の絵のなかに書かれていたり、祈りの冊子を作り、洗礼に導きたい人を書き出して祈るためのものもあった。
毎週月曜日は、自分の担当するグループに洗礼者がいない時は午後の3時まで断食だった。
韓国CCCの大学生が日本に伝道に来るときには、この伝道期間中に洗礼者がいなかったら月曜から木曜の夕食まで断食だったときもあった。

だんだん、何のための集会かわからなくなってくる。
人を連れてくる為の集会でしかない?
心はどこにいくのでしょう?

日常が大事なのか、集会が大事なのか。

どちらも大事だけれど、考えてみたい。

つづく。

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