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2010年1月21日 (木)

クリスマス礼拝 つづき

もう、年も明けて今日で21日。まだクリスマス?と思う方もいらっしゃるとは思うけど、流れ上、続きを。
教会の暦上ということで、1月の3日の礼拝にもまだツリーはきれいにろうそくを灯されて飾られていた。あそこだと、どこかのデパートみたいに12月25日が過ぎたとたん、正月モードになったけど、そういう感じはない。
説教も、クリスマスに関連した聖書箇所。

クリスマスに限らず、集会に新しい人(新来会者)が来たら、絶対ひとりにしないよう、教育されていた。誰か教会員が友達を連れてきたら、連れてきた人がお世話をするのはもちろんだが、誰のつても無く、ふらっと来た人には必ず塾生がぴったりとくっついてお世話をする。
これは別段悪いことではないと思う。このように信徒教育することもそんなに悪いこととは思わない。でも、このことを信徒に強制したり、しなかったら罰を与える、というのは問題外でしょう。するかしないかは、本人の自主的なものに任せるのが普通だと思う。ほとんどの教会が普通にこのことを理解できると思う。
しかしあそこでは違った。塾生は求道者をひとりにしないように教育されていた。粗相があったら時により体罰が待っている。しかし、罰があるからそうしていたわけでもない。塾生と呼ばれる献身者は、イエス様を信じて洗礼を受けたら救われるという尊い真理を伝える使命感から、ふらりと来た人も必ず洗礼を受けるまで導けたらと、みんな純真に思ってお世話をする。お世話を受ける人がそうされたいと思っているかどうかは別だが。人を捉える、ということに良くも悪くも?貪欲に取り組む姿勢はばっちり出来ている。しかし、本当に人を捉えることができるのは神様のだが・・・いや、正確にいうと、神様の手から逃れられる人、こぼれている人は誰もいない。人はみな、神様の大きな御手の中で生かされている。その神様の方を向いて歩むかどうかだ、という風に今は理解し始めている。
 少し脱線。あるとき、遠州牧師会主催のライフラインの集会が遠州地区で開かれた。その集会スタッフをそれぞれの牧師会所属の教会から出すのだが、HCCからは、もちろん塾生が借り出された。スタッフ数の多さでいえば、ダントツだったと思う。スタッフの役目の中に、ふらっと会場に来た人に対して、住所氏名や感想を記入してもらうアンケート用紙を渡すのだが、その用紙の項目の中に教会名を記入する欄があった。それは、アンケートを書いてくれた人を引き続きフォローする為に、紹介される教会だった。そこに書かれている教会に最終的にそのアンケート用紙を送るようなシステムだったと思う。(記憶違いならご指摘下さい。)塾生には、榊山さんより、その欄に必ずHCCの名を書いてくるように指導された。どんなにHCCから地理的に遠くても関係ない。普通、協賛する教会が集まっているのだから、その方の住んでいる近所の教会を紹介するのが妥当だと思うが、そうではない。この辺りに、その本心が見え隠れしているのではないか、と思う。
 話題は戻って。今通っている遠州栄光教会では、そのような信徒教育(新来会者に飛びつくこと。)は成されていない。それどころか、集っている人が教会員なのかどうかでさえわからない。だから飛びつきようがない。ここで三回目のクリスマスを迎えて、やっと顔と名前が一致できる人が増えて、礼拝出席者の半分近くの人の顔と名前が一致した。しかし、あと半分近くはわからない。去年の最後の礼拝のあと、主任牧師の呼びかけに応じて、礼拝出席者が礼拝堂の中でひとつの輪を作り、自己紹介をした。常々、共に同じ会堂に集って礼拝していても名前と顔が一致しない人が互いに多いからだ。礼拝出席者が100名を超えていることも互いに顔と名前が一致しない要因ではあるとは思う。しかし、基本的には互いの関わりがほとんどないからだ。このことを牧師たちが憂いて、伝道教育委員会なるものが2年ほど前に発足した。なぜか、当初から私たち夫婦は委員に名前が載せられていた。牧師が、他教会から転会してきた教会員を中心に構成したからだ。信徒教育の部分が弱いところは認めざるを得ないのだ。
そんなこんなでも、この教会に来る新来会者は絶えることがない。不思議だ。長く求道されている方もいる。そんな中、ぽつぽつと受洗者がいる。受洗してすぐ来なくなるような人はほとんどない。少なくともこの三年間で見た受洗者はみな、教会に来ている。
私の子供の通っている幼稚園のお母さんたちも大きなイベントの常連さんとなってくれている方もいる。不思議だ。勧誘モードがないから、全くといっていいほどないから。「又来てね。」位はたまに言うけど。良くも悪くも関わって来られないから行きやすいのか。昔の私の感覚では、まだるこいほどの対応だが、何とかなっているようにも見える。良いか悪いかは別として・・・私としては、ほとんどプレッシャーもなく集会に来れるのがとても気持ちが楽なのだ。自然な自分で居られる。集会に出たいから出るのだ。

クリスマス礼拝とは話が最終的に逸れた気がするが、言いたかったことは最後の一文である。。

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